復興支援助成金

自立した社会づくりへ
すばらしい歌津をつくる協議会 復興支援助成先紹介 File 13

当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「すばらしい歌津をつくる協議会」の活動を紹介します。

“受援力”の必要性を実感

すばらしい歌津をつくる協議会の前身は、昭和30年代に新町民生活運動協議会として発足。戦後の生活改善運動を推進する団体として、町の補助を受けて組織されました。その後、時代と社会の趨勢とともに活動の変遷を遂げながら、市民と行政をつなぐパイプ役としての役割を担ってきました。2006年(平成18年)10月に、現在の「すばらしい歌津をつくる協議会」に名称を変更しました。

会員は各地区の自治会長、行政区長、産業団体代表や各種団体長、学校長、総合支所長。定例会議を開催し、情報交換を行っています。

震災直後、情報が全くない中、すばらしい歌津をつくる協議会が発行し続けてきた会報誌『一燈』は、被災地の多くの方々に重宝され、喜ばれました。また福岡県大牟田や兵庫県宝塚、奈良県、埼玉県川口、東京都三鷹、群馬県桐生など、全国各地の読者からは支援物資が届けられました。当時の様子を、同協議会の小野寺寛さんは次のように話します。


すばらしい歌津をつくる協議会の建物外観と小野寺寛さん

「震災後、食べ物や衣類が手に入らず困っていたとき、小学生の修学旅行がありました。子どもたち一人一人のサイズに合った下着と靴下を、袋に入れて贈ってくださった方がいらっしゃいました。親御さんたちにも大変感謝され、とにかくそのきめ細やかな心遣いがありがたかったですね」(小野寺さん)

特にこれまで南三陸町と縁があったわけではないのに、遠く宮崎から「口蹄疫の際に、全国から支援を受けた恩返しに」と、被災地へ炊き出しのボランティアに来た方もいらっしゃったと言います。

「支援を通じたつながり、絆を改めて実感しました」と話す一方で、小野寺さんは支援受け入れの難しさを次のように話します。

「全国からとにかくたくさんの支援物資が届きましたが、震災直後は混乱していて、公平に分配することができず、コミュニティ間でギクシャクすることもありました。支援を受ける側にも、“受援力”が必要なことを強く感じました。全国からの“支援したい”という声に、どれだけ応えられるかが問われたのであり、この“受援力”の差が、復興のスピードにも影響しているのではないかと思います」(小野寺さん)

言葉だけではなく、行動

すばらしい歌津をつくる協議会では、織物の街として有名な桐生市の協力を得て、Tシャツやハンカチなどのオリジナルグッズを販売し、その売り上げを復興基金にしています。公共施設の一部を借り、住民たちの手作りによって携帯ストラップや草履などを制作。草履はまだ販売していませんが、アフリカの子どもたちに贈りました。


会報誌『一燈』とオリジナルグッズの数々

南三陸町の歌津地区では、震災前から商店街がシャッター通りになるなど、過疎化の問題を抱えていました。震災後、船員を希望して他県から被災地に移住してくるなど、一次産業、二次産業の担い手となる若者が少しずつ戻ってきていると感じると言います。

「現在はボランティアを初め、全国から支援を受けていますが、これからは自分たちのことは自分たちでまかなう自立した社会づくりを目指していかなければなりません。外からの知恵と力もいただき、産業を復興していく必要もある。町民には言葉だけではなく、行動してもらえるよう、声を上げていきたいと思っています」(小野寺さん)

「希望を失った人、失いそうな人たちへ、希望を。すばらしい歌津をつくる協議会の活動は続きます。

■『すばらしい歌津をつくる協議会』webサイトはこちら

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