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復興支援助成金
『オクトパス君』で町に夢と希望を
南三陸復興ダコの会
当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「南三陸復興ダコの会」の活動を紹介します。
廃校の中学校を活用した、南三陸復興ダコの会の工房。
工房内では、地元の方々が『ゆめ多幸鎮オクトパス君』を手作業で製造している
前向きに生きていくため、
夢中になれる作業を
南三陸復興ダコの会は、自分たちの力で復興への一歩を踏み出そうと立ち上がった、宮城県南三陸町の有志によって結成されました。設立の目的を、阿部忠義事務局長は次のように話します。
「突然の震災で大きなダメージを受け、住む家も、職場も失い、町には喪失感が漂っていました。みなが前向きに生きていくためには、何か夢中になれるもの、作業できる場があるといいなということで始めたのが南三陸復興ダコの会でした」(阿部さん)
3南三陸はマダコが名産品。震災の少し前、阿部さんは合格祈願グッズとして、マダコをモチーフに文鎮の『オクトパス君』を開発。これから本格的に仕掛けようという時に、津波で機械や型を含め全てを失います。
「正直、ショックでしたが、下を向いていても仕方ない。セメント製だった文鎮を、素材を鉄に変え、復興のシンボル『ゆめ多幸鎮オクトパス君』として、南三陸復興ダコの会で製造・販売することにしました」(阿部さん)
「廃校となった中学校施設を改修し、モノづくりの事業所に活用。『オクトパス君』のみならず、さまざまな復興支援グッズを開発し、雇用の場を確保しながら、全国的な販売促進活動を始めました。
昨年の受験シーズンには、復興支援に貢献しながら合格祈願の贈り物になる点が注目され、主力商品『ゆめ多幸鎮オクトパス君』の文鎮は、現在までに3万個を販売。当初3人だったスタッフは、現在25人を超えるまでに増えました。
全国で通用する“ゆるキャラ”へ
『オクトパス君』の販路開拓、生産管理、インターネットでのマーケティング、広報などを担当していたのが、村井香月さん。東京出身の村井さんは、震災後、瓦礫撤去のボランティアで被災地へ。復興には気の遠くなるような時間が掛かるだろうと実感する一方、新しい日本を創っていくためのヒントやアイディアが東北に集まっているのではとも感じ、特定非営利活動法人エティックの震災復興リーダー支援プロジェクトを通じて、南三陸復興ダコの会に1年間参画しました。現在は、南三陸復興ダコの会の商品の一つである木工クラフトをつくる企業に勤務しています。
「あくまでも主役は、工房で働く住民の皆さん。皆さんが毎日生き生きと働けるように舞台を作るのが、私の仕事でした」(村井さん)
阿部忠義さん(右)と村井香月さん。
いっしょに写る『オクトパス君』は、単なる商品販売だけでなく、交流人口を増やし、地域貢献することが重要だと考え、工房の隣の神社に奉納された
受験シーズンを終えると、『オクトパス君』の売れ行きにも陰りが見え始めます。被災した各地からさまざまな復興支援グッズが売り出され、飽和状態にあり、本当にオリジナリティがないと難しい状況になってきていることも事実。阿部さんと村井さんは、“復興支援”のみの購入動機から脱却し、どうすれば買い続けてもらえるか、またお客様とつながっていくことができるか、日々頭を悩ませました。その答えの一つが、『オクトパス君』の“ゆるキャラ化”。この夏には、ゆるキャラ戦略に必須とされる着ぐるみを作り、イベントなどでアピールすると共に、ぬいぐるみやストラップ、『オクトパス君』がデザインされた衣類や小物入れ、ステッカー、ポストカードなど、商品ラインナップを充実させました。
「もともと過疎化が進んでいた南三陸で、震災によってさらに人口流出が進んでいることも、悲しいことですが事実。10年先、20年先を見越したビジョンを、南三陸の方々と共有し、町の将来を考える一人でいたいですね」と村井さん。阿部さんは、「例えばオクトパス君音頭を作曲するなどして、さらに認知度を上げていきたい。南三陸と言えばオクトパス君、オクトパス君と言えば南三陸と言われるようなものにしていきたいですね。それが私たちの目指す“元気な町作り”につながると信じています」と今後の抱負を語ります。
希望を失った人、失いそうな人たちへ、希望を。南三陸復興ダコの会の活動は続きます。
『オクトパス君』の着ぐるみ。全国各地のゆるキャラと共に、南三陸で毎月開催されている『福興市』にて