産業復興・雇用創出支援
支援先紹介 | ヨシエイ加工株式会社

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1990年の創業以来、気仙沼で水揚げされた原料にこだわってフカヒレ加工業を続けてきたヨシエイ加工。津波は何もかも奪い去り、再起を期すも、幾つもの障害が立ちはだかりました。救いの手を差し伸べた地元信金との出会いをはじめ、再建までの軌跡を村上芳二郎社長に伺いました。

「津波への先入観が悲劇を生んだ」

村上芳二郎社長

「メインバンクから融資を断られ、わらをもつかむ思いでそれまで取引のなかった地元信金さんに駆け込んだ。握手で激励された時は、〝生き残って良かったあ〟と実感しました」
しみじみとこう語るのは、ヨシエイ加工の村上芳二郎社長である。

中華料理で、高級食材の定番の一つと言えばフカヒレ。その生産量で日本一を誇るのが気仙沼市で、日本のサメの9割は気仙沼の港で水揚げされる。村上が経営する会社も創業以来、地元で水揚げされる原料に強くこだわってきた。

「最高級品は、何と言ってもヨシキリザメの尾ビレ。これはもう、トレードにおいて、また消費地として本場である香港でも、繊維が太く、あめ色にキラキラ光る、と絶賛される品質です」

一つ一つ丁寧に天日干しされるフカヒレ

その品質を維持するために、何千枚ものフカヒレを天日干しにする。ことに、1月からの作業は不可欠。北上山地南部の独立峰として、気仙沼の西にそびえる室根山から吹き降ろしてくる寒風にさらすためだ。1月から約2カ月間、厳しい寒さに震えながら行う地味な手間が、フカヒレを形崩れさせないだけでなく、独特の風味を引き出してくれるのだという。最近は機械で乾燥させる業者も珍しくない。しかし村上は、あくまでも天日干しにこだわってきた。

「あの震災の当日、私は事務所の2階で取引銀行の担当者と打ち合わせの真っ最中でした。あの年は、今までにないくらい業績が好調で、追加の借入の話をしていたのです。そこに、突然大きな揺れが襲ってきた。外に避難するのも大変なほどの揺れでした。余震も続き、財務資料のバックアップデータを取りに戻ろうにも戻れず、シャッターを閉めて、着の身着のまま近くのビルの上にとにかく避難しました」

だが、彼の会社も加工場も、天日干しの最中だったフカヒレも、津波の脅威の前に一掃されてしまった。全てが跡形もなくなってしまった。

「地震から津波到達まで約1時間のタイムラグがありました。これが落し穴になった。前年のチリ地震の津波は、路面が濡れ、ゴミが散乱する程度でした。津波はこの程度、との先入観を生んでいたかもしれません。今回の震災でも、避難後に一度自宅へ戻って被災された方はとても多かったようです」

気掛かりだったのは、従業員の安否だった。安否確認するには、とにかく毎日、避難所を回るという原始的な方法しかなかった。3週間後、1人を除き43人の作業員の無事が確認できた。

「自分にできるのか」。避難所を回りながら、村上の頭の中にはそれしかなかった。事業再建のために自分に何ができるのか、村上は疑心暗鬼に陥りかけていた。さらに、たとえ再建しようにも原料の調達をどうするのか、難問は山積していた。協力してくれるサメ肉処理業者があり、「おまえのところに売る」と言ってもらえないと商売できない。それが浜のルールだった。仕入先の一つに、気仙沼本社の他に銚子に支社を置く水産会社があった。何とか小型車を調達し、でこぼこの東北自動車道を徹夜で南下して訪ねると、社長が「気仙沼のブランドを守るためにもサメを売るよ」と理解を示してくれた。その言葉に、村上は、やることを決意した。フカヒレの仕事は奥が深く、面白い。一度フカヒレの仕事をした人間は、フカヒレからは逃れられないことを悟った。あとは資金繰りの問題だけだった。

作業の様子

『相談に乗りますから』

早速、メインバンクに融資の交渉に出向いた。早期再開に必要な金額を提示したが、逆に震災前の債務残高を指摘された。

担当者いわく、「震災の前も後も、融資の基準は変わってはいないのです」「村上さん、あなたが私の立場だったらお金を貸せますか」と。村上は思わず拳を固め、振り上げようとしてすんでのところで思いとどまった。

数カ月後、縮小した再建計画を提示して再度交渉を試みたが、それも徒労に終わった。

万策尽きた村上が、当たって砕けろとばかりに扉をたたいたのは地元信用金庫だった。

震災からすでに半年近く、2011年8月になろうとしていた。気仙沼信用金庫とはこれまで取引はなかったが、震災前の業績好調の折に営業に来てくれていたので面識はあった。

「『お互い、生きていて良かったですね』と笑みを浮かべ、こうやって手を握って、『ご相談に乗りますから』と言ってくださったのです。勇気の要ることだと思いますよ。ほんとにありがたかったです」

担保財産もない村上に、なぜ融資が下りたのか。地元信金マンは「村上社長の人柄を見た」と述懐する。村上は再建計画のみならず、都合の悪い財務状況などの情報も全て開示した。その上で再建に向けた強い意志も感じられたという。

さらに気仙沼信用金庫の仲介で、財団の出資を仰ぐこともできた。信頼の輪がつながったのだ。再起の足掛かりを得た今、村上の表情は明るい。

工場外観

「2013年4月、高台に移転した新加工場も稼動しました。2014年1月末には三菱商事の小林健社長自ら弊社を訪れ、激励してくださった。こうやって一過性ではなく、継続して地元復興に目配りをしていただくことに感謝しています。今後は気仙沼産のフカヒレブランドを守り、水産業全体の活性化につなげていきたいと思います」

(敬称略)