復興支援助成金

市民の小さな声に耳を澄まし、
FMラジオで伝える
みなみそうまさいがいエフエム

Focus44

当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「みなみそうまさいがいエフエム」のチーフディレクターの今野聡さんに、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。

東日本大震災の被災地・被災者への復興支援活動を開始した理由、きっかけを教えてください。

震災発生からおよそ1か月後、原発事故による影響で市民の9割ほどが避難した南相馬市でも、住民が徐々に戻り始めました。しかし、津波による防災無線の破損などで、被災者である市民に対し生活に関わる情報が充分に届きませんでした。そこで、必要な情報を速やかに住民に伝えるべく、市が総務省に免許を申請し「南相馬ひばりエフエム」を開局しました。開局にあたっては、市職員の人手不足などもあり、実際の放送業務は自発的に集まった市民有志によるボランティアで始まりました。私自身も被災者で、ラジオの仕事は未経験でしたが「何か、周りの人々のためになることをやりたい」と思って集まりました。
当時は、原発事故の影響で屋内退避措置がとられ、街なかにはひと気がまったくありませんでした。そのような中、ラジオを通して市民であるスタッフが発する声が、情報とともに人々を励まし、元気づけられると感じました。地震、津波、そして原発事故。先の見えない不安の中で非日常の日々を送りながら、何かプラスの方向に関われる活動に参加したい。そんな想いをスタッフ一同持って、活動を継続してきました。

これまでどんな活動をされてきたのですか。

開局直後から半年ほどは、集まる限りの情報を市民の皆さんに向けてラジオを通し一心に発信し続けました。生活情報、震災情報、放射能の情報、民間や市民の取り組み、市内の出来事など、伝えられる限りのことを取り上げ、ラジオで放送しました。不足していた情報をラジオで届けることで、市民の生活に貢献できたと思います。
そして半年、1年と経っていく中で、次第に放送も変化していきました。変化のきっかけは、「もっとたくさんの市民の声を届けたい」という想いでした。リスナーからも同じような意見があり、「市民が、市民の声を知りたい」と感じていたのでしょう。日々の放送の中でインタビューやゲスト出演など、市民が参加する機会が増えていきました。
また、少しずつさまざまな番組制作を始めました。長く時間のかかる復興に向け、「今後中心となっていくはずの、若い人の考えを発信する場がない」ことから、若者が参加できる番組をつくりました。ボランティアがきっかけで南相馬市を気に入り、移住して支援活動を続ける方が参加する番組も制作。外からやって来た方が感じた南相馬の魅力をラジオを通して発信し、市民を勇気づけました。作家である柳美里さんが震災後、自発的に南相馬に通う中で自ら提案された番組が、『柳美里のふたりとひとり』。市民と柳さんが向き合い、語り合う番組を制作しています。ほかにも、放射能とどう向き合えばいいのか、南相馬で活動する医師に質疑応答する番組なども制作。また、「楽しい話題、癒される番組がもっと欲しい」という声もあり、次第に明るい話題や音楽、落語、娯楽番組などの放送も始めました。
いずれの番組も、市民でもあるスタッフの視点から「同じ市民にとって必要な番組は何か」を常に意識し、制作しています。市民が市民に寄り添った放送になるよう、努めています。

ご苦労されたのはどんな点ですか。被災者の言葉など、印象に残っていることは?

津波でご家族を亡くされた方、警戒区域で自宅に住めない方、放射能に対する意識の差など、置かれた状況や考えが多種多様な中、公共性のあるラジオで発言するということに苦労しています。例えば、被災まもない時期の緊迫した空気感の中、放送中のトークで少し笑うだけでも「不謹慎だ」と苦情が入りました。さまざまな状況や心情の住民に配慮しなければいけないと改めて気付かされました。
被災者の言葉で印象に残っているのは、あるときご年配の男性がFMを訪ねてきてくださったときのことです。当時は20キロ圏内が警戒区域で、取材もできず情報もほとんどありませんでした。その状況の中で男性は、「一言でもいいから放送中に、『小高区』という言葉を言って欲しい」と切実に訴えられました。南相馬のラジオ局なのに、出てこない「小高」という言葉。「20キロ圏内の小高区が、このまま忘れ去られてしまうのでは」という焦燥感があったのではと思います。スタッフももどかしさを感じました。この時の言葉が「小さな声に耳を澄まし、伝えよう」というスタッフの姿勢になっています。

今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。

当初は一方的な情報発信のみのラジオ局でしたが、次第にリスナーである市民とお便りやゲスト出演などを通してコミュニケーションが図れる場になってきました。そしてラジオでの出会いを通した新たな活動も生まれるなど、まだまだ復興へ大きく寄与できる可能性を感じます。今後も、たくさんの市民の方が関わり参加していけるコミュニケーションの場、「わが町自分たちのラジオ」という発信の場になっていけるよう努めたいと思っています。ラジオを通し、市民自らが小さな声を発信し、それぞれの思いをつなげていくことが、被災者や被災地への励ましや今後の希望となっていけるのではと感じています。

『みなみそうまさいがいエフエム(南相馬ひばりエフエム)』webサイトはこちら

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