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復興支援助成金
新旧住民の交流を深め、
新しい街づくり
とめタウンネット
当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「とめタウンネット」の及川幾雄理事長に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。
東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。
大型スーパーの進出などで、地元の大網商店街の活気が薄れていたところ、さらに震災に追い打ちをかけられ、営業をやめる店舗も出てきました。一方、震災を契機に、南三陸町から登米市大網に大勢の方が移ってこられました。復興にはコミュニティが必要であるとの認識から、新旧の住民と商店街の交流を深め、新しい街づくりを考える組織として、商店街が中心となって『NPO法人とめタウンネット』を設立しました。
これまでどんな活動をされてきたのですか。
震災前は大網地区の活性化を図るため、起業家を育て、就労機会をつくることを目的に考えていましたが、震災が起こり、復興支援を活動の中心にしました。2011年10月にとめタウンネットを設立し、NPO法人となったのは2012年1月です。
私はガソリンスタンドを経営しています。震災時には大きな揺れでロッカーが倒れ、ケガを負いました。店舗も被害が大きく、一時は商売が続けられないのではと思ったくらいでした。それでも燃料がなくなっては大変だと、営業を続けました。市内には13ヵ所の避難所がありました。初めて避難所を訪れた時、その状況に驚きました。寒さをしのぐために子どもたちが運動をしていて、運動するとおなかがすくのに、当時はおにぎりが一人一日一個という状況でした。せめて寒さをしのいでもらおうと、灯油を供給するために避難所を回りました。全国の青年会議所や、アートイベントで知り合った団体の方々、東京の谷根千ねっとが、女性用の下着や石鹸、布団乾燥機、子どもたちの辞書など、入手しづらかったものを支援してくださいました。
2012年1月からは集会施設「コンテナおおあみ」で、NPO法人HSFと共同で子どもたち向けの学習教室や、日本マイクロソフトの協力で初心者向けパソコン教室を開催。手仕事としてエコタワシやブレスレッドをつくる活動をしています。
2012年11月23日には、交流スペース「心家(こころか)」をオープンしました。震災前から大網で暮らす住民と、南三陸から移住してきた住民、そして商店街の交流を図るための“場”として利用しています。この交流スペースの建設には、地元住民や被災者、子どもたちも参加しました。玄関の土間のタイルや手形の装飾、壁に飾った絵は子どもたちの作品です。
昨年に入り、交流スペースを使って、被災者のお母さん方による手作り弁当の宅配サービスを始めました。調理は仮設住宅の女性3名が担当。南三陸の海産物と登米のお米を併せた『絆べんとう』です。会社や市役所などに販売するほか、いずれは仮設住宅の独居老人にも提供し、地域の見守り活動にしていくことを検討しています。現在は一日15食程度ですが、いずれは30食を目指しています。昨年10月、宅配弁当をつくっているお母さんたちにも参加してもらい、東京の自由が丘のイベントに参加しておにぎり弁当を販売したところ好評でした。
交流スペース「心家」は、昼間はお茶を飲む場として開放し、貸しスペースやイベント会場としても使用しています。夜は居酒屋にもなります。被災者とご近所の方々とのコミュニケーションの場になれば良いと思っています。
弁当宅配事業も居酒屋も、宣伝不足でお客さんは限られていますが、いずれは事業として採算が取れるかたちにしていきたいと考えています。
ご苦労されたのはどんな点ですか。被災者の言葉など、印象に残っていることは?
被災者の中には、「登米の人に(世話になっていて)申し訳ない」とおっしゃる方がいます。まだ、遠慮があるようです。そうした心の垣根をのりこえるためにも、南三陸と登米の食べ物を触媒にして、弁当事業を通じて人のつながりをつくっていくことが有効ではないかと思います。
今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。
南三陸と登米は隣同士ですが、異なる文化を持っています。農耕民族と狩猟民族の違いと言ってもいいかもしれません。食文化にしても、新鮮な海の食材を食する南三陸に対し、米どころで農業が盛んな登米は陸の食べ物が中心。それぞれの得意分野をうまく融合させていきたいと思います。被災者と支援者の壁をこえ、登米の外から移ってこられた方々の力を借りて、大網地区のコミュニティの再生や街の活性化を図り、就労の機会をつくっていきたいと考えています。