復興支援助成金

南三陸が注目を集める
一助であり続けたい
南三陸復興ダコの会

Focus37

当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「南三陸復興ダコの会」の阿部忠義事務局長に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。

東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。

“西の明石、東の志津川”といわれ、南三陸はタコの名産地です。このタコを使い、南三陸を全国にアピールしたいというのが活動のきっかけ。「置くと試験にパスする」ということでタコ型文鎮『オクトパス君』は評判になり、特に受験シーズンは人気になりました。
実は震災前、沿岸部に140坪の創作工房を整備しました。もちろん私の個人的な趣味もありますが、物づくりを通じて子どもたちに発想力や創造力を身につけて欲しい、またアートやデザインを学べる場が必要ではないかと感じてのことでした。ところが震災で、この工房も完成して2週間後に津波で流さてしまいました。
震災直後は、ただ夢中になって避難所のお世話をしていましたが、その活動を通じこのままではいけない、何か集中できるものがないかと考えました。
震災で多くの仲間が犠牲になり、軟派な取り組みはできないと思い『オクトパス君』の製造も含め、タコによる地域おこしの活動は一時封印しました。震災直後の4月に大正大学のボランティアが支援に駆けつけ、入谷地区で受け入れることになりました。40名4クルーの約150名が、物資の運搬や炊き出し、子どものリクレーションなどをしてくれました。未来を担う大学生に被災地の状況から何か学んでもらえればと思い、高橋会長と私で学生たちを毎回現地案内しました。
大正大学の活動は全国紙に取り上げられ、逆に大学側から感謝されました。支援に来たつもりがかえってお世話になり恩返ししたいということで、「オクトパス君の文鎮を復活させましょう」と提案があり、創業資金を提供してくれました。高橋会長と相談して活動を再開し、6月には『南三陸町復興ダコの会』を発足。オクトパスのキャラクターを復興のシンボルに、南三陸町を元気にする町づくりに取り組むことになりました。

これまでどんな活動をされてきたのですか。

キャラクターは、女川出身の方が考案したデザインをベースにつくりました。作業所は、町に交渉し廃校になった校舎をリニューアルして新たに「入谷YES工房」として再開。タイミングよく国の緊急雇用事業が活用することができて、今ではスタッフ25名ほど雇用しています。『オクトパス君』は、合格祈願から復興支援グッズに変わりました。オクトパス君のキャラクター商品は順調に売り上げを伸ばし、1年後には大学側の出資金を返済することもできました。その後も大学とは、宿泊研修施設『いりやど』の新設や、農業生産法人の共同事業へと、取り組みの輪が広がっています。
元々オクトパスの文鎮は、利益を出そうとして始めたものではないので、収益性は高くありません。入谷YES工房では、徐々にオクトパス君のグッズの種類を増やしていきました。フロンティアジャパンとのタイアップ事業で、間伐材を使ったノベルティグッズの製作を始めました。2012年には、地元特産のタコと地元米を組み合わせた『タコせんべい』の販売を開始しました。
2013年は、入谷にオクトパス君のキャラクターを使った陶器をつくるための工房を新設しました。比較的簡単な技術でつくれる鋳込み粘土を型に流すタイプの陶器から始めようとしています。将来は、陶芸教室も開ければと考えています。陶芸工房では、2名のスタッフに技術を習得してもらう予定です。知識では乗り越えられない対応を求められることがあります。今回の津波は、その一つでした。直感や想像力で身の危険を感じとる、これまであまり使うことのなかった潜在的な能力が求められたわけです。この工房を通じて、町の人たち、特に子どもたちに、こうした力を身につけて欲しいと思っています。

ご苦労された点は。印象に残っていることは?

ゆるキャラブームもあり、オクトパス君を南三陸のゆるキャラにするアイディアは以前からありましたが、生活が安定していない状況下、住民に受け入れてもらえるか不安で、少しずつ時間をかけ住民にも認められるようになりました。
2012年の夏には、着ぐるみを作成。イメージを壊さず、立体化するのは大変でした。『福興市』など町のイベントにも登場し好評で、ゆるキャラグランプリにもエントリーしました。
これらの活動を通じ、人材を育てていく必要性を感じています。事務系のマネジメントができる人材が特に足りません。研修センターも人手不足ですが、土日に休めず、朝早く、夜が遅いシフトなのでなかなか働き手が見つかりません。最低限の人員で回す仕組みを工夫していかなければと思っています。

今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。

今後は、助成金なしでも継続していく仕組みが必要です。復興支援もいつまで続くわけではありません。緊急雇用事業は来年度で終了します。その後もできれば現在の従業員を維持していきたいと考えています。キャラクターグッズは町内外の約50カ所に卸し、イベントなどでも出品しています。今のところ、販売は軌道に乗っていますが、観光客などの来訪者の増減に比例し、売上も変動します。復興支援の風が弱まっても運営できるように、復興ダコの会の活動と並行させた収益事業を展開させ、多角的な活動にしていくことを検討しています。活動継続の企画運営を検討するチームをつくり、勉強会を行っています。
キャラクターグッズの物販だけでなく、カルチャースクールやカルチャーキットの販売を組み合わせていきたいと思っています。例えば工房では繭細工を販売しています。伊達藩の蚕産の発祥地である入谷地区は、その昔は相当の蚕産農家で占めていました。こうした町の歴史や産業文化をさまざまなかたちにしてつなげていきたいと思っています。そうした意味では、手づくりを楽しむカルチャー向きの商品かもしれませんね。また、この辺りは砂金が取れることも知られています。採算が合わず、産業としては衰退しましたが、歴史を学ぶ体験学習として砂金採り体験もおもしろそうな企画だと思っています。
新たにモアイが、町のシンボルとして注目を浴びています。モアイグッズが増えています。復興ダコの会では『モアイのあられ』なども検討しています。チリの岩塩と地元の米を組み合わせ、全国展開できる事業にしていきたいと思います。
キャラクタービジネスは町の基幹産業にはなりません。しかし、持続可能で息の長い事業に成長させ、町の水産業・農業を支える脇役として、また南三陸町が注目を浴び続けるための一助であり続けたいと思います。

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