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復興支援助成金
石巻の子どもたちの居場所を、
夢を支援
TEDIC
当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「TEDIC」の門馬優代表に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。
東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。
石巻の実家が被災。当時は大学4年生で卒業を間近にし、大学院への進学が決まっていました。教育関係のNPO で働いていたのが縁で、日本財団の支援で始まったNPOが連携した被災地緊急支援活動「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト(通称:つなプロ)」の活動に参加しました。当時は被災者のニーズが引き出せず、避難所に入り被災者との関係作りから始めました。エリアを分け、私は石巻を担当。4月上旬から約2カ月、港小学校の避難所で過ごし、被災者のニーズを拾い上げました。避難所での主な活動は、①ニーズの聞き取り、②避難所運営の補助、③子どもたちの守りの三つ。子どもたちと大人の生活リズムが違い、子どもたちをうるさく感じる大人もいる一方で、勉強がしたいという受験生、遊びたいという子どもならではのニーズがありました。小学校2階の図書室にKids Roomをつくり、住民の方といっしょに運営しました。この子どもたちの居場所支援の延長が、TEDICの活動です。
これまでどんな活動をされてきたのですか。
震災後、ゴールデンウィークが終わると大学院が始まり、「つなプロ」の活動は辞めました。震災前は石巻が好きではなく、東京の生活を楽しんでいましたが、震災をきっかけに今まで通り悠長に東京で楽しく生活を送ることに耐えられなくなりました。私はNPO職員のほか、都立高校の非常勤教諭もしていました。被災地にニーズがあることがわかっていましたので、子どもたちの学習支援を行うため、2011年5月12日にTEDICを立ち上げました。大学のOBOGから寄付を募り、100万円を集め最初の活動資金にしました。金曜夜に石巻に入り、土日を使って学習支援を行い、日曜の夜に東京に戻る生活が始まりました。大学の友人たちと4名1グループになり、仮設住宅や公民館を使って活動を始めました。宿泊は、子どもの時にお世話になったクリニックの空きスペースをお借りしました。初めは3拠点からスタートして、現在は7拠点で活動しています。
1年目は避難所でチラシを配り生徒を募集。2年目は教育委員会に後援頂き、学校が告知に協力してくれました。各回10名~20名が参加してきます。小学校から中学生まで約120名が利用しています。
長期的に活動していくには、地元の大学の協力が必要。石巻専修大学の教職課程の授業に参加し、仲間を募りました。宮城教育大学など他大学でも同じ方法で活動に賛同してくれる仲間を増やしていきました。現在は石巻専修大学から声をかけられ、学生とNPOを繋いで、学生を復興の担い手にして欲しいとお願いされ、共創研究センター特別研究員として非常勤職員を務めることになりました。
この3年間の変化は?
震災当時は学校が始まっていませんでしたので、子どもたちのニーズに応えて勉強を教えていました。震災発生から3ヵ月後に学校が始まると、それまでのブランクを埋めるため学校側もスピードアップした授業になったようで、ついていけない子どもをサポートするようになりました。2年目は学校も通常通りの運営となり、経済的に余裕のある子どもたちは学習塾や予備校に戻っていきました。一方で経済的に余裕がない子どもたちのフォローアップが必要になりました。また、学校に居場所をつくることができない子どもたちへの支援も必要になってきました。転校して友だちがつくれない子どもや、狭い仮設住宅の暮らしにストレスを抱える子どもたちもいました。TEDICの学習支援は、こうした子供たちの居場所としての役割に移行しつつあります。
ご苦労されたのはどんな点ですか。被災者の言葉など、印象に残っていることは?
学校長から手に負えない中学生グループの受け入れを頼まれたことがあります。いわゆる不良グループで、学校側も手を焼いていました。学習支援スペースで酒を飲んだり、暴れたりしたこともあります。表面的には問題行動を起こすのですが、時間を掛けて接しているうちに、『父親が亡くなり、自分が働かなければならないから高卒の資格が欲しい。でも自分だけが抜け駆けできない』といった本音を漏らすようになりました。彼らが悩みを打ち明ける場所がなかったことに気づきました。私たちと話をするようになり、彼らが少しずつ変わってきました。初めは遅刻が当たり前だったのが、最終的には30分前にくるようになりました。グループ10名の内8名は無事に進学しました。
これからはファンドレイジングにも力を入れていかなければならないと思っています。TEDICでは貧困層の子どもたちを対象としていますが、親御さんの経済力について必ずしも明確に区別できないのが実態。また、子どもの居場所としての役割を考えると、経済面だけの線引きではうまくいきません。学習塾や予備校など既存の学習支援事業者との差別化も図っていかなければならず、悩ましいところです。私自身、高校の教諭をしていた経験もあり、高校生への支援も実施していきたいと考えています。
今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。
震災で、経済的困難から東京に出る夢をあきらめる子どもたちがいます。事情はさまざまでも、夢や目標に向かう子どもたちの背中を押して上げたい。辛いことは受け止め合う関係性を築いていきたいと思っています。
一方で、全国的に寄付金が東北に集まり、他の地域に回らなくなったという話も聞いています。
避難所にいた時、中学3年の引きこもりの男子がいました。『お互いに全壊だね』と揶揄して笑い合いました。同じ被害を受けたことや、私自身も子どものころに引きこもりがちだったことがあり、そうした共通点から心を開いたのか、話をするようになりました。その子から「津波が来て良かった、津波に救われた」という言葉にショックを受けました。彼はいじめが原因で不登校になっていました。震災前、家庭内暴力があり、姉は家を出て帰らなくなりました。津波で被災し、避難所に一家揃って逃げてきました。避難所では困っていると言葉に出さなくても助けてくれます。母親のアザから家庭内暴力にも気づいてもらえました。避難所での生活で、人とのつながりができて救われた思いがすると言うのです。震災の有無にかかわらず、こうした表に出ない悩みを抱えている子どもたちを何とかしなければと改めて思いました。
石巻の子どもたちが、石巻で生まれて来て良かった、生きていて良かったと思える町にしていきたいと思います。