復興支援助成金

自然豊かな島での農業による
離島振興
浦戸アイランド倶楽部

Focus23

当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「浦戸アイランド倶楽部」の大津晃一理事長に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。

東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。

8年前、塩竈市から若い経営者や日本青年会議所のメンバーを含めた幅広い関係者に声がかかり、塩竃の眠っている魅力を掘り起こし、魅力ある町づくりをする活動が始まりました。
商工会議所は藻塩のブランド化、私たち日本青年会議所のメンバーは浦戸諸島のすばらしい自然環境や資源を活かした塩竈のブランドづくりに取り組むことになりました。活動を始めた当時は農業生産者もいて、自家消費と縁故米で消費されていた米を分けてもらい、純米吟醸酒『寒風沢』を浦霞の醸造所でつくりました。オーナー制度のブームもあり、テレビ局にも取り上げてもらい注目を浴びました。そうした実績がかわれ、市から寒風沢島の耕作放棄地の修復を依頼されました。その半年後に震災が起こりました。

これまでどんな活動をされてきたのですか。

浦戸諸島最大の寒風沢島には、塩竃にはない固有の文化があります。一方、人口は約100名、高齢者の多い限界集落という厳しい状況の島です。産業を興すにも企業誘致は現実的ではなく、農業と漁業を活かした離島振興をしたいと考えています。
震災後は耕作放棄地の田畑を借り、農業の再生を行っています。震災当時の畑は、島でも瓦礫と土砂の山でした。瓦礫を取り除き、路地とビニールハウスで野菜の栽培を始めました。21ヘクタールの広大な田んぼは、ほぼ水につかっていました。瓦礫を取り除き、土を入れ替え、震災翌年から無農薬で稲の栽培を始めました。
震災後、塩竈市の委託で緊急雇用事業の一環として、4名の若者が島に入り農業を始めました。しかしボランティア頼みでは、活動継続は難しい。島の定住者に取り組んでもらう必要があり、地元の方も参加してくれています。緊急雇用されたのは、元々農業経験がない若者たちですから、区長を務める島津功さんに指導を受け、見よう見まねで始めています。
農機具はロータリークラブなどが寄附してくれました。昨年収穫した米は島の関係者らに無料で配りましたが、今年は販売を予定しています。寒風沢産のブランド米を目指し、かつての宮城の代表品種である『ササニシキ』に挑戦しています。コシヒカリは粘り気が強く米の持つ甘みで、米そのままでも美味しい。ササニシキはおかずを引き立て、冷めてもおいしい米として寿司屋にも好まれる品種です。今年の稲刈りには地元の小学生も参加してくれました。
難しいのは、農業用水の安定確保。今年は田植え時期、日照り続きで水道水を使って田植えを行いました。反対に収穫時期には、台風続きで田んぼに水が溜まってドロドロの状態になってしまいました。自然任せで水をコントロールする仕組みがないのです。設備導入に向け、実績を積み、市の農業振興地域の認定を目指す一方、ここは国立公園内にあるため、環境省や文化庁の管理下にあり、灌漑設備などを建築するには認可が必要なので時間がかかりそうです。水の供給については、県が淡水プラント建設を検討。数年後には改善される見通しです。
寒風沢島は自然環境が豊かで、東北大学の専門家が調査をしています。地元の小学生がめだかを孵化させ、放流する活動をしています。この島の農業は肥料も農薬も使いますが、自然環境に配慮し、自然と調和したかたちで行われています。

ご苦労されたのはどんな点ですか。被災者の言葉など、印象に残っていることは?

私は仙台港近くでトラックの荷台を製造する会社を経営していますが、津波で工場も事務所も流されてしまいました。現在は場所を移転し、震災前の三分の二の規模になりましたが再開させています。
震災当初は、自分のことで手一杯でしたが、何とかNPO活動も続けました。離島だから、限界集落だからという理由で、寒風沢島の生活をなくしてよいのか、という強い思いがあったからです。島の人は、高齢者が多く、みんなここでの暮らしを望んでいます。すべてを経済合理性で考えることに疑問がありました。
一方で、ここでの農業生産が生きていく糧になり得るのか不安はありました。農業は生きる根幹を支える産業にもかかわらず、日本で農業のみで生計を立てているのはほんの一握りの大規模農家にすぎません。ほとんどは自家消費と縁故米で農業を続けているだけです。農業で生計を立てていくには、寒風沢産の米や野菜に付加価値、ブランド力を創っていくことが課題です。
稲刈りシーズンを迎え、“field of gold”、風に揺れて黄金色に光る稲穂、刈り入れた稲わらの香りに感動しました。青い海と空の青さの中、海の音を聞きながら米を育てる環境は大変貴重だと思います。

今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。

生産物を換金し、生活の糧を得る必要があります。大学や青果市場、設計会社の方々が集まり、有識者会議を開催しています。例えば野菜の種類について討議。船の輸送コストがかかるため、軽くて独自性のある『曲り葱』や、寒風沢生まれの『仙台白菜』の栽培を検討しています。将来的には、ブランド化した米で酒造りにも挑戦していきたい。体験ツーリズムも行いたいと考えています。市も県も環境省も寒風沢の農業に注目しています。市では廃校になった小学校を改造し、宿泊できるコミュニティセンターを建設予定です。
うれしいことに、島に戻ってきた若者もいます。31歳の加藤信助くんは仙台で電気関係の仕事をしていましたが、震災を機に父親の故郷の寒風沢に住み、農業と漁業で生活していくことを決めました。安定したサラリーマン生活を続ける選択肢もありましたが、自由に自分の力で生きてもよいかなと決心したそうです。若者の価値観も多様化しています。生活に不自由しない程度の収入があれば、自然と向き合って暮らすことを選択する人もいるのです。農業の担い手を育てていきたいと思います。外からの定住者が増えることを期待しています。寒風沢島が、自然が守られつつ、農業と漁業によって持続的な生活ができる、そんな場所であり続けることが一番の望みです。

『NPO法人浦戸アイランド倶楽部』webサイトはこちら

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