- HOME
- 復興支援助成金
- 助成先紹介|2013年度
- Focus19
復興支援助成金
高齢者が自由に過ごせる空間づくり
キャンナス
当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「キャンナス」でコーディネーターを務める山田葉子さんに、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。
東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。
阪神・淡路大震災の後に、看護師ができることをできる範囲でやる組織として「全国訪問ボランティアナースの会 キャンナス」が立ち上げられ、キャンナスの略称で親しまれています。全国に支部があります。被災地では看護師だけでなく、医療職・福祉職の他に運転を担当する方や活動に賛同する方々もメンバーになっています。東日本大震災では、3月20日から気仙沼で活動を開始しました。震災の年の7月に被災地で支援を続けるために「一般社団法人 キャンナス東北」を設立しました。
私自身は、震災前は石巻市渡波で寿司屋を経営していました。津波で自宅と店が流され、渡波小学校の避難所で本部運営をしていました。4月中旬から、避難所に入っていた看護協会に代わってキャンナスが支援に入ってくれました。それまではキャンナスの活動を知りませんでした。仮設住宅への移転が完了し、避難所がなくなる時、キャンナスのコーディネーターの方から、これまでの避難所の様子や医療従事者の取り組みをそばで見てきた人に参加して欲しいとお誘いを受けました。地元の人をスタッフとして迎えたいということで、2011年12月に私ともう一人が採用されました。
これまでどのような活動をされてきたのですか。
1年目前半は避難所での看護活動が中心でした。傾聴や寄り添い、物資の手配、また当時の避難所の衛生状況は劣悪でしたので、環境整備を行いました。1年目後半からは在宅の方々にも支援を行うようになりました。仮設住宅への移転が始まっており、宮城県や石巻市から牡鹿地区と荻浜地区の被災者の見守りを行う健康支援事業とリハビリ支援事業の担当を委託されました。
2年目は生活が落ち着く一方、精神面で落ち込む方が増えてきました。孤独を感じるとか、地域の中では遠慮があって愚痴をこぼせない、といった声がありました。そこで、清水田浜の一軒家をお借りし、『おらほの家』と命名して高齢者が集まれる施設をつくりました。ここを訪れることで、仮設住宅から外に出る機会ができ、気分転換ができます。また、在宅の方々にとっても集まれる場所ができたと好評です。
『おらほの家』からは海を見ることができます。初めは海が見えると津波を思い出すのではと心配しましたが、逆に「海を見たい」と言う方が集まってきます。月に2回、土曜日に解放しています。初めは1日5人くらいしか利用者がいませんでしたが、現在は毎回15〜20人が集まってきます。当初は仮設住宅と在宅被災者の方との間に若干わだかまりもありましたが、今では一緒にお茶を楽しめる関係になりました。
『おらほの家』は、施設が被災して規模が小さくなったデイサービスの代替としても利用されています。在宅施設を回るケアマネージャーの方から、仮設住宅での生活になじめない方がいるので『おらほの家』に誘って欲しいと依頼されることもあります。
3年目を迎え、『おらほの家』の利用者から手芸がやりたいという声が上がりました。そこで月に2回、手芸の日を設けました。また、運動機能が低下している方が多いので、運動の日を設けることを模索しています。まずは健康器具に慣れてもらうことから始めています。万歩計を貸し出し、次回の活動日までの記録をつけてもらっています。少しでも体を動かす機会をつくってもらうため、『おらほの家』のそばに小さな菜園も作りました。
ご苦労されたのはどんな点ですか。
大変なのは活動資金を維持していくことです。利用者は年金受給者が多いですから、利用料を高くするわけにはいきませんし、収益事業もありません。介護保険の施設にしてしまうと健常者を受け入れられなくなります。当面は委託事業の請負や寄付による運営をせざるを得ません。
現在は土曜日に月2回参加する費用が300円ですが、年金受給者には精一杯です。この利用料を作業に必要な材料費に充てています。食事代までは賄えませんが、皆でテーブルを囲んでの食事は利用者の楽しみの一つですから、継続して提供したいと思っています。
また、スタッフのスキルアップが十分にできていないことも課題の一つです。
被災者の言葉などで印象に残っていることは?
『おらほの家』にはいろいろな方が参加します。何十年かぶりに知り合いと再会したという方もいます。私自身も震災前のお寿司屋のお客さんと再会しましたし、震災後に連絡が取れなくなった昔からの知り合いの方が無事でいる情報を聞きました。『おらほの家』は情報収集や情報交換の場にもなっています。
利用者から「ここに来るのが一番楽しい」、「笑顔になれる」と言われることがやはり一番の喜びです。こういった施設を訪れることに初めは抵抗を感じていたのが、今では楽しみにして毎回通っている方もいます。ここでは、何かしなければならないということがなく自由なので居心地が良いようです。
『おらほの家』で働くスタッフもいろいろな方がいます。元料理人の被災者が、「何か役に立ちたい」と、調理を担当してくれるようになりました。初めはボランティアとして参加していた看護師の方で、仕事を辞めてスタッフになった方もいます。ボランティアで参加している作業療法士の仲間が、世界作業療法士学会で利用者アンケートをもとに私たちの活動を発表することになりました。消しゴムスタンプを作ったり、昼寝をしたり、畑仕事をしたりと、運動や作業を強いられずに自由に過ごせる場所というのはめずらしく、リハビリ成果が期待されるということです。
今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。
しばらくは現在の状況が続くでしょう。被災者の方は、ひきこもりや孤独死などが懸念されています。高台移転にともない、また知り合いと別れざるをえない状況も想定されます。そのような環境にあっても、自分らしさを失わず、笑顔で過ごせる時間をできるだけつくってもらうため、私たちは地域に根を下ろした活動を続けていきたいと思います。