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復興支援助成金
“までい”の心に寄り添って
Cocoro Care for Children
当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「Cocoro Care for Children」の出口貴美子代表に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。
東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。
長崎で小児科医院を開業しており、震災の時には長崎にいました。いわき出身の同級生で内科医の佐藤先生の安否が心配になり電話をしました。佐藤先生は東京勤務ですが、いわきに戻る途中で被災し、そのままいわきで医療支援をしており、奇跡的に電話がつながりました。
原爆の被災地である長崎で育ったこともあり、また米国留学中、ヒューストンで9.11に遭遇し、ハリケーンの被災経験もあったので、自分も何か支援したいと思いました。精神科医の夫や仲間と組織を立ち上げ、日本医師会災害医療チーム(JMAT)に参加するかたちで被災地の医療支援を開始しました。現在の主な活動メンバーは10名ですが、医療関係者以外にも工学博士や建築家など、サポーターが活動に参加してくれています。
これまでどんな活動をされてきたのですか。
震災発生の3週間後から巡回相談診療を行いましたが、子どもたちには薬だけでなく、おもちゃや絵本、遊び場などが必要で、心のケアの必要性を肌で感じました。そこで、いわき市保健所が実施していた心のケアチームに参加し、手分けして避難所を回り、被災している方々一人ひとりに声を掛けていきました。一見元気そうな子どもや保護者の方も個別に話をすると、現場で声をあげられずに、じっと我慢している様子が感じられました。お話のきっかけに、まず子どもたちにおもちゃや絵本をお渡しし、子どもたちに笑顔が見られた瞬間に、保護者の方もホッとされ、いろんな悩みを打ち明けてくださることもしばしばありました。
避難所がほぼ終結した6月以降は、保育園や幼稚園の巡回訪問を行いました。その頃現場では、放射線の被害を心配した保護者から、水や食べ物への子どもたちへの影響、外で遊ばせられない不満などがかなり多く持ち込まれており、これらの対応を、放射線科医を交え、研修会や保護者相談会を開催し、正しい情報や対処方法を伝えました。また、いわき保健所で“こどものこころのケア相談会”を開き、座談会形式で保護者の悩みを共有する場を持ったり、個別相談を受けたりしました。さらには、教育委員会やスクールカウンセラー、園長、医師会、保健所、行政など、子どもたちを取り巻く関係者に呼びかけて「いわきこどものこころのケア連絡会」を組織し、横の繋がりでの意見交換を行うほか、子どもの心のケアに関する市民公開講座を開催しました。
2011年10月からは、福島市に避難している飯舘村の方々への支援を始めました。CCCの事務局の星田さんが以前から関わっている別のNPOの活動の中で、飯舘村がラオスに学校を寄贈した縁があったことがきっかけでした。飯舘村の村長はじめ、行政および教育機関と連携しながら、子どもたちや保護者の心のケアを主な活動として支援しています。飯舘村では3世代、4世代の家族が一緒に暮らし、共に見守る環境にありました。仮設住宅では核家族化を強いられ、伸び伸びとした暮らしができず、急激な環境変化に適応できない子どもたちや保護者が多くいます。現在は、村立幼稚園の支援をしていますが、今後、子どもを飯舘村で育てるか福島市で育てるか悩んでいる人も少なくありません。帰村を望む祖父母との摩擦もあれば、避難先での慣れない生活など、両親が先の見えない不安を抱え、それを目の当たりにしている子どもたちにも不安が伝わっています。飯舘村には“温かい”という言葉だけでは表現できない、手間を惜しまず、丁寧に、心を込めて、相手を思いやる、“までい”という生活文化が継承されています。この素晴らしさを子どもたちに伝え、後世に受け継いでいく、長期的なお手伝いもしていきたいと考えています。
ご苦労されたのはどんな点ですか。被災者の言葉など、印象に残っていることは?
被災地のニーズは、刻一刻と変わっています。ニーズを把握し、タイムリーに支援していく難しさがあります。支援がかえって被災者の負担になることもあるのです。
飯館村の方々との関係を築くには、これまでいろんなハードルがあったかもしれませんが、“までい”の心を大切にしながら、何度も通ううち、理解し合える関係になり、最近はノミニュケーションしながら活動を相談する場もつくれるようになってきました。今後は、専門家集団ができることとして、発達障がいなどの子どもたちの発達に関する支援や、支援者支援として、学校教師、教育委員会や保育所など行政機関の職員の支援をしていきたいと思っています。
放射線の被害の受け止め方はさまざま。いわき市の市民公開講座では、長崎出身ということで私の話に関心を持って熱心に聞いていただけました。飯舘村の村長を長崎にお招きし、中学校で講演してもらいましたが、大変好評でした。戦争と事故に違いはあれ、放射線の被害を受けた共通点から、分かり合えるものがあると思います。福島と長崎がお互いを理解し、支援し合える関係が生まれてくると良いと思います。
今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。
子どもたちには、故郷に誇りを持って飯館村をいつも心の中に持って、育ってほしいと思っています。私は長崎の原爆を直接経験していませんが、幼い時から平和の大切さを徹底的に教えられました。福島の子どもたちには、震災の経験とそこから学んだことをしっかり教育していくことも大切だと考えています。