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復興支援助成金
モアイで町を盛り上げる
RSA JAPAN
当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「RSA JAPAN」の薗田大典代表理事に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。
東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。
ダイビングショップを経営する沖縄から、被災地に初めて入ったのは、震災直後の3月13日。当初は南三陸町の志津川小学校の避難所でボランティア活動をしていました。南三陸町社会福祉協議会が災害ボランティアセンターを立ち上げることになり、社会福祉協議会の方が避難所に挨拶に来られました。そこで紹介されたのが、猪又総務課長(当時)との出会いでした。3月いっぱいで沖縄に帰ることにし、ボランティアセンターに挨拶に行くと、「南三陸に戻ってきたら、また手伝って欲しい」と言われました。その時はまだ南三陸に戻るかどうか迷っていたのですが、「もちろん君にしかできない仕事をしてもらうつもりだ」と猪又さんに言われ、知り合ってからごくわずかなのにそこまで自分を買ってくれているのであれば何かお役に立ちたいと思い、4月に戻りました。
これまでどんな活動をされてきたのですか。
1年目は、ほんとうに何もないところからのスタートでした。災害ボランティアセンターの運営方法を決める段階から次々と問題が浮上し、目の前の状況を片づけていくのに精いっぱいでした。テント3つから始めましたが、ピーク時は一日あたり500名のボランティアが訪れました。運営が軌道に乗ったのは、8月ごろからでした。一方、支援を受ける受け皿を作る必要を感じ、災害ボランティアセンターで知り合った影山さんと二人で一般社団法人RSA JAPANを立ち上げたのが、6月のことでした。1年目の作業は主に瓦礫撤去等の力仕事でした。今思い返すと、志高く、被災地に入ってくるボランティアが多かったと感じます。
2年目は、運営の方向性も決まり安定した活動ができたと思います。瓦礫処理もしましたが、農業や漁業支援といった依頼も増え、1年目より充実した活動ができたという実感がありました。
3年目を迎え、ボランティアの数が減ったこともあり、やや物足りなさを感じているのが正直なところです。一部の企業が継続して社員ボランティアを派遣し、個人のリピーターも訪れていますが、新しく来られる方はほとんどいません。作業も漁業支援が中心になってきました。
ボランティアセンターの運営以外の仕事としては、漁協や地元の商店の方々の販路拡大のため、ネット販売のお手伝いをしています。南三陸町の場合は加工場が回復しているところが少ないため、ネットのショップで販売特集を組むなどプロモーションが難しく、他の地域に比べ不利だと感じています。
ご苦労されたのはどんな点ですか。
一番は、安定した活動資金の不足。現在は助成金頼みですが、いつまで制度が続くかわかりません。
RSA JAPANの会員を募り、組織としても強化していきたいと思っています。ただし、組織存続のためだけに活動を続けても意味がありません。とにかく南三陸で必要とされる限りは活動を継続したいと思います。
今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。
被災地や被災者のために何かをしようと思っても、一人の力ではとても無理です。でも、猪又さん一人の役に立つことぐらいはできるかもしれないと思って活動を始めました。今でも、猪又さんが実現させたい南三陸町の復興を側面から支えているだけです。
今は月に1回、1週間程度、沖縄から南三陸に来ています。沖縄のスタッフからも、「まだ行くの」と言わることもありますが、被災地ではまだまだ人手が必要とされています。例えば南三陸では漁業関係者や農業関係者からのニーズがあります。多くの災害ボランティアセンターが閉鎖されていますが、ボランティアセンターを閉じてしまうとボランティアが行く先がなくなってしまいます。これまでに累計で12万人のボランティアが南三陸に来ており、その経済波及効果も大きなものです。
南三陸では、漁業体験ツアーといった観光も始まっています。他の沿岸部でも行われており、沖縄という観光立地県で商売している者として言わせて頂くと、厳しい言い方ですが、観光として南三陸町の独自性を売るにはネタが弱い気がします。今は被災地だから人が訪れますが、被災地ブランドが通用しなくなれば訪れる人も減り、人が来ないと忘れられてしまいます。
現在、『志津川まちづくり協議会』の事務局も務めています。また、RSA JAPANではチリから寄贈されたモアイをPRするプロジェクトを立上げ、“モアイの町、南三陸”として町を盛り上げることを考えています。6月には、イースター島にまで行ってきました。モアイをPRするには、頂いたものをただ飾っておくだけでは訴求力が弱く、南三陸の人がモアイをつくらなければ意味がないと思いました。そこで、50以上ある仮設住宅の集落ごとに、それぞれ1体ずつ木でモアイを掘ることを計画しています。仮設住宅ではお茶会をしていますが、そんな時間を使って掘っていく。ボランティアにも参加してもらって、みんなでつくっていければと考えています。
12月には、アメリカ西海岸のサンディエゴで猪又さんが講演をする予定です。被災地の状況を伝え、改めて支援をお願いし、モアイで町のPRをしてきたいと考えています。