復興支援助成金

思い出を育む、
大正12年創業の古き良き映画館
朝日座を楽しむ会

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当財団は、被災地の復旧・復興支援活動を行うNPOや社会福祉協議会などへの助成金制度を実施しています。助成先の一つ、「朝日座を楽しむ会」の小畑瓊子会長に、活動を始めたきっかけやこれまでの活動内容、今後の抱負などについて聞きました。

東日本大震災の被災地・被災者への復興活動を開始した理由、きっかけを教えてください。

朝日座は1923年(大正12年)、福島の南相馬市原町区に芝居小屋兼活動写真館として建てられました。この朝日座の存在と事業を楽しみながら後世に残していきたいと2008年に発足したのが「朝日座を楽しむ会」です。
震災発生から3カ月後の6月12日、震災後初の上映会を行いました。当時は多くの方たちが避難所暮らしで、生活していくだけで精いっぱいの状況。同じ避難生活でも、避難所には多くのボランティアが入り娯楽が提供されていましたが、在宅被災者やみなし仮設の方々には楽しむ機会が全くありませんでした。そこで、せめて映画を観て笑顔を取り戻してもらおうと、震災前からお付き合いがあった映画関係者にも協力していただき、日活映画『いつでも夢を』を上映したのです。お知らせする手段もない中、100名近くの方が集まってくださいました。

これまで他にどんな活動をされてきたのですか。

今思い返しても、震災の年は怒涛のような1年でしたね。ボランティアで公演に来てくださる団体もありましたし、映画上映も行いました。震災前から続けていた「朝日座映画祭」や「朝日座寄席」、アニメ映画の上映に加え、「ドキュメンタリー映画祭」や「歌舞団公演」「俳優永島敏行さんを迎えての座談会」も実施しました。
南相馬市原町区出身の若者による「青年部」が立ち上がり、若い世代をターゲットにした映画上映やコンサート、舞踏なども行うことができました。震災前の朝日座では、若い方の姿を見ることは少なかったのですが、青年部のおかげで、市内・県内外からの若者が「朝日座」という歴史ある建造物を訪れ、そこで行われている催しに注目し、新鮮な目で見てくれるようになったのです。

ご苦労されているのはどんな点ですか。

苦労しているのは、やはり資金面。それでも南相馬市が当初3年間資金援助してくれたり、県も応援してくれていますし、インターネット等で私たちの活動を知った全国の方々から寄附が寄せられています。
建物は90年たっていますので、あちこちが痛んでいます。今回、屋根を修理した時には県が支援してくれましたし、県内外や多くの市民の方々からも支援を受けています。存じ上げなかったお年を召した方が、『屋根を直すのに使って』とかなりのまとまったお金を届けてくださいました。この時は、うれしかったですね。朝日座を続けていこうと励まされ、ました。
従来の35㎜フィルムからDVDに映画製作が切り替わったことで、朝日座では映像装置が追い付いていません。DVDプレイヤーは購入したのですが、映像を大きく映すための業務用プロジェクターはありません。震災前に勤めていた映写技師が、原発事故をきっかけに東京に避難してしまい、県外の業者に上映を委託せざるを得なくなったことも経費がかさむ要因の一つになっています。
「新しい映画も上映してほしい」という声があるのですが、フィルム代が高くて、せめて1、2年前の作品を上映するのが精いっぱいという状況です。

活動を通じて、特に印象に残っていることは?

最初の上映会の時は、映画を楽しむだけではなく、「大丈夫だった?」「大変だったね」とお互いの無事を喜び合う姿が見受けられ、そんな場を提供できて本当に良かったと思いました。
それから避難所でボランティアをしていた時のこと。「この土地の者ではないのですが、おにぎりを頂いてもよろしいですか」と被災した女性が訪ねてきたことがありました。当時、みなし仮設の方々には十分な物資が提供されていなかったのです。こうした言葉を言わしめる状況が心から悲しく、終生忘れられないと思います。

今後の活動予定や抱負を聞かせてください。自分たちの活動を通じて、被災地や被災者へ、どんな“希望”を与えたいとお考えですか。

これからも月1回の定例上映会を行っていきます。また、サロンを開催してみなし仮設や市民の方々にお茶会の場を提供したいと考えています。
南相馬では、まだまだ市外や県外に避難している方々がいらっしゃいます。いつか故郷に戻ってきた時、「まだ頑張って朝日座やってたんだ」と、一人ひとりそれぞれが自分自身の朝日座の思い出を懐かしく思い出してもらえることを願っています。市民が気楽に足を運び、楽しめる、いつまでもそんな施設でいたいですね。

『朝日座を楽しむ会』webサイトはこちら

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