支援先紹介 | 太洋産業株式会社

創業地・大船渡での復興への、強いこだわり

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太洋産業株式会社 | 松岡章社長
当財団は、「タイサン」ブランドで知られる水産加工販売の太洋産業に出資しています。
社員を一人も解雇せず、地元の要望を優先させ、創業地での復興に尽力した太洋産業の代表に、その強い思いを伺いました。

「人と人のつながりの大切さを強く感じた」

松岡章社長

「3月11日の震災で、大船渡の私どもの工場付近では、あっという間に海全体が15mも盛り上がるような津波に襲われました。工場損壊は非常に深刻。再建断念も有り得ました。でも、大船渡は何と言っても私たちの創業の地ですから」

こう語るのは太洋産業の松岡章社長だ。サケ、サンマ、魚卵などを加工販売する同社は、鮭フレークを中心に「タイサン」のブランドで全国に知られている。

主力商品『鮭フレーク』の生産現場

「震災当日は、午前中に工場を見回り、JRの一ノ関駅から新幹線で移動し、東京で被災しました」

松岡がようやく現地に戻ってこられたのは、2週間後の3月25日。工場の屋根にはいまだ社員の車が津波で乗ったままだった。松岡は直ちに全社員と面談を実施。

「時間はかかるにしても、絶対復興する。わが社は誰一人解雇しない。釧路工場や築地本社で大船渡を支えてほしい」と、いち早く方針を明確にした。

「面談の際、両親を連れて赴任してほしいと伝えたのですが、誰一人連れて行きませんでした。お父さんや、お母さんは、苦しくても地元に残りたいんだ、と。隣近所の人と手をつないで、もう一度家が建つのを待つんだ、と。三陸の人の地元意識の強さを感じました」

この間、望外の喜びもあった。3月19日、20余年の取引先のイナガワ運輸が、神戸から21時間かけ、救援物資を届けてくれたのだ。震災直後、社長から松岡に「何かできることはないか?」と電話があった。松岡の要望に応え、震災需要で品薄だったにもかかわらず、灯油や軽油、コンロ、ボンベ、水、食料をかき集め、届けてくれたのだった。しかも「被災地の皆さま、どうか頑張ってください。神戸から応援します」と手紙が添えられていた。

「受け取った社員は泣き崩れたそうです。それだけ寒くて、飢えていた時期でしたので」

松岡とイナガワ運輸の出合いは、大阪営業所長だった時のこと。赴任直後、大手スーパーに初めて北海道からサンマを大口で納品しようとしていた車が、箕面の山中で事故に遭った。各運送業者にSOSを発信したところ、名乗り出て窮地を救ってくれたのがイナガワ運輸だった。その後の阪神・淡路大震災で松岡は、大船渡の工場から鮭フレークを大型トラック1台分、イナガワ運輸に即座に届け、その後もいろいろと物資を送った。そんな縁もあり、今回の震災では、苦労して支援物資をかき集め、送ってくれたのだった。

「人と人のつながりの大切さを強く感じました」

3月28日から、電気、水道不通のまま重機も入れられず、社員が手作業で工場内の整理を始めた。ゴミの投棄場所も決まらず、分別廃棄を要する瓶詰のフレークは、釧路工場まで大型トラックで運び、一つ一つ開けて分別作業をして廃棄した。内部からガスが発生、壁に穴を開け、換気しながらの作業も強いられた。東京本社から役員、社員を問わず全員が交代で駆け付け、入浴後も魚の臭いが取れない、といった苦労を共にした。

「体をせっけんでごしごし洗っても、臭いが取れないんですよ。それだけ、すごい中での作業でした。でも皆でやり遂げたことで、連帯感は高まったと思います」

工場解体が始まったのは震災から7カ月後のこと。瓦礫でスロープを作って重機を搬入するなど、苦心の末だった。終了したのは翌年5月と、作業に約7カ月半も要した。

その間、釧路工場には仮設のフレークラインを設置。手作業のため、1日当たりの生産量は大船渡工場の5分の1にすぎなかったが、何とか商流確保に努めた。

「同じ場所で復興したい。地域と共に再生したい」

地域一体の再生を目指し、自社工場の再建より優先させたのが魚市場近くに新築した製氷工場である。

「市や商工会議所から、『氷がないことには船を誘致できない。船が来なければ、地場の人たちが仕事をできる環境にならない』と復旧を強く懇願され、決意しました。従来は130キロの角氷を砕氷して提供していたのですが、非効率だったので、銚子の工場を見学して、家庭の冷蔵庫と同じ、出来上がった氷が自然に上から落ちてくる製氷システムを導入しました。また、地域の今後のことを考え、水の中に窒素を注入し酸素を抜き取って魚の劣化を遅らせる窒素氷の製造システムを本州で初めて導入することにしました」

地元業者からは「魚の鮮度が高まり、刺身で高く売れる」と重宝がられ、大船渡産水産物の付加価値向上の一助となった。

「将来的には、大船渡から韓国、東南アジアへ鮮魚を出荷させられればと思っています」

製氷工場竣工に遅れること半年、今年3月15日、念願のフレーク工場再建がかなった。直径30センチの杭を36本、20メートルで可とされたのを27m打ち込んだ。土盛りも独自の判断で1メートル50センチにかさ上げした。松岡社長が再び語る。

1分間で60~70の瓶にサケを詰めることができる

新設された工場外観

「昭和19年の創業以来、地域の皆さんと苦楽を共にしてきた同じ場所で復興したいとの思いがあった。グループ会社の社員の中には、震災から10カ月以上両親が行方不明にもかかわらず、工場再建に尽力してくれた人もいました。そういった人たち、一人ひとりに支えられ、このフレーク工場は出来上がった。感無量です」

若い頃、正月の2日からニシンのためにサンフランシスコに飛び、2カ月ぐらいサンフランシスコの山の中でカズノコ作りのために塩まみれになった。その後、ニシンを追って、バンクーバーからアラスカ方面へ移動した。5月からはサーモンの加工のため、陸上の工場を回り、6月から3カ月程度は、紅ザケを求めて船に乗り込み、漁獲しながら船の中で加工するという生活だった。


新設された工場外観

「1年の3分の2は駐在していたアラスカやアメリカ西海岸で、三菱商事にお世話になりました。南米のチリで一緒に仕事したこともあります。今回またご縁があり、三菱商事設立の復興支援財団から1億円の出資を受けられたことには、とても勇気づけられました。自然のままのおいしさを素材で供給する一次素材加工提案と、最終消費者向けの商品展開のバランスをうまく取りながら、ヒット商品を生み出し、水産加工物の新たな需要を創出したいですね」

(敬称略)


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